人はどうやってマンガの描き方を獲得するのかしら?

わたくしわりと小さいころから自由帳にマンガを描くような子供だったのだけれど、小学1・2年生のころの自由帳を見返していたら、基本的なマンガの構成要素のうち、キャラ・セリフ・コマはわりあい先に出揃っていて、紙面をページとして扱う発想だけがマンガ雑誌を読むようになってから遅れて出てきていることが判明。ある時期までの自由帳にはマンガっぽい4コマとかが描いてあっても、余白にぜんぜんべつの絵が描いてあったり、ページをまたいでは描かれていなかったのが、『コミックボンボン』を読み始めた時期から紙面全体をコマ割りして複数ページにかけてマンガを描くようになっていて、当時の自分があきらかにマンガを読んでマンガの形式を学習しているのがわかっておもしろい。逆に言うとキャラ・セリフ・コマの表現は、マンガメディアからは相対的に独立して獲得が可能なものなのかもしれないな。

本屋がなくなった

先日近所のスーパーに入っていた本屋がつぶれまして、とうとうフラッと行ける徒歩生活圏に本屋がなくなってしまったという事実。腐ってもここ東京なんだけどなあ……裏日本にいたころと同じくらいの環境になってしまった。

西野はもともと本という物体には憎悪こそあれ愛着はないし、そんなに本を積極的に買うほうではないのだけれど、それでも一応20世紀を体験したことのある人間ですから、ときどき本屋にフラッと寄って新刊なり雑誌なりをチェックしたりときどき買ったりするという習慣はかろうじて残っており、そこから何らかの刺激を受けていたのはたしかだと思うのだけれど、もうその程度に接触する客がいるくらいでは立ち行かなくなったのか、ホントに東京でさえここ数年どんどん本屋がつぶれているのを見てまして、出版不況なる複合的構造不況は前から多少なりともジッカンはしていたけれど、「本が売れない」というのがいよいよ「本を売っている場所がない」とか「本を見かけない」という意味のフェーズに入ってきたのだなという感じです。なんというか、衰退期の産業というのはこういうもんなのかね。

Kingdom Come: Deliveranceがおもしろすぎる

わたくしこう見えてビデオゲームにはめっぽう弱いタチでして、いちどやりはじめると不眠不休でプレイしてしまう病気に罹患しているのですが、さいきんは『Kingdom Come: Deliverance』 というPCゲームをやっております。

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後期中世(1403年)のボヘミア王国(現在のチェコ)を舞台にしたオープンワールドRPGで、魔法とかモンスターとかファンタジー要素を排して、代わりに当時の社会・文化・宗教・政治を再現したり、睡眠・食欲・外見といった要素を入れたりして、ヒストリカルかつリアリスティックであることに徹したわりとコアめのゲームで、なんでも開発者が企画をパブリッシャーに持ち込んだら総スカンで、しかたなくクラウドファンディングで資金調達して数年かけて開発して発売したらあっというまに何十万本も売れたらしい。

西野は発売間際のプロモーションでたまたまこのゲームを知って、舞台もRPGもそれなりに興味があったので勝手やってみたのだけれど、これがめちゃくちゃおもしろい。やめられない。たすけてほしい。何がおもしろいって、おはなしがおもしろいんですね。じっさい公式にもストーリードリブンRPGを名乗っているくらいで、たいへんよくできている。

とくに感心したのが、ゲームスタートからオープンワールドRPGとして歩き回れるようになるまでの冒頭のおはなし運びで、後期中世ボヘミアというちょっとなじみのなさすぎる舞台にプレーヤーをなじませるための手続きがすごく良い。 続きを読む “Kingdom Come: Deliveranceがおもしろすぎる”

murmur

都合何度目かのmurmur開始です。こないだnoteも作ったんだけれど、noteはおしゃれクリエイティブ風サービスの雰囲気があったり微妙にSNSの機能も持ってたりしてちょっとくだらんことを投稿しづらいので、やっぱりメインサイトのほうでも管理できる日記がほしいなあということでとりあえずWordPressで作ってみた。WordPressってサイト作成機能がホントに肥大化してるのでサイト全体をWordPressで作ろうとするとどうしても大げさになるけれど、こういうふうに日記(ブログ)だけ置くていどならむしろむかしよりもかんたんかもしれない(さいきんたまたま余所のブログを触る機会があって分かった)。

まだちゃんとした運用方針を決めてないけれど、とりあえずあることないことはひとまずぜんぶここに書いて、そこからセレクションしてnoteに投稿する感じで行こうかしらと思ってます。