Girls TALK #3
Third Statement on Love

2010年5月制作

解題

初出時の後記(抜粋)

このおはなしはこれでおしまいです。と言うよりは、もはやおはなしにすらならなかった、おはなしとして破綻してしまったと言ったほうがより適切かもしれません。自分でもほんとうにひどいマンガを描いてしまったという自覚があって、端的に言ってもうこれは失敗作なわけです。

[中略]

取り急ぎ確かなことは、今回の話が、いままでの二話とはべつの動機・背景から描かれたものだということです。

いままでの二話というのは、それぞれの後記でも書きましたが、数年前まで自分が書いてきたようなマンガ――恋愛感情の全面的な相互交流が可能となって感情同一化の末におはなしが終わるマンガ(西野周辺では「ちゅっちゅまんが」と呼ばれています)――に対する違和感から出発して、逆に感情の相互交流不可能性をモチーフにした「脱ちゅっちゅまんが」を企図したものでした。それがマンガとして成功していたかどうかはともかく、動機自体は明確だったし、その意味ではおはなしの論理が比較的クリアーで、おはなしの行く末についても予測と制御が割合に利いていました。

それに対して今回は、単なる「脱ちゅっちゅまんが」ではなく、前二話で描いた感情の相互交流不可能性のあとのことを描こうとしました。感情の相互交流不可能性というモチーフを入れることでおめでたいちゅっちゅまんがの成立を抑止できることはどうやら分かったけれど、それではそれを突き詰めていった先にどんなおはなしを描くことができるだろうか、というのが今回の話を描こうと思ったそもそもの動機ないし背景です。それはたしかに前ほどには明確な方向性を持った動機ではないので、おはなしの予測は立てにくかったけれど、ただ、当初はここまでおはなしとして破綻するとは思っていなかったのです。

もちろん、感情の相互交流不可能性の延長線上にある以上、おはなし内部の論理として、いちど関係の破綻した涼子と李花がすぐにおめでたく関係を修復するような結末には持って行けない。とはいえ、何もかも失敗するような結末ではなくて、もう少しマイルドな終わり方は選択肢としてはあり得た――というか実際、ある時期までのプロットでは、李花と別れた涼子が流されるままに泉と付き合うという終わり方でした。

それがどうしてこんな話になったのかといえば、それはけっきょく、あとのことについての認識が変わったというのが大きい。西野が当初、あとのこととして考えていたのは、ディスコミュニケーション(相互交流不可能性)の帰結として、何か「おしまい」を描けないかということでした。それは要するに、いままでどおりのおはなし内部の論理を貫徹させて、直線的な因果関係の連続を記述することで、どうにかおはなしとしての終着点が見つけられるのではないかという予測に基づくものでした。

ところが、そうやって考えていくにつれて、どうやらそれは非常に不毛な結末に終わらざるを得ないと思うようになりました。要は、「脱ちゅっちゅまんが」は、「ちゅっちゅまんが」の否定態としてしかおはなしの枠を保っていられないのであって、けっきょくどこまで行っても前二話を繰り返すようなことをやるほか無い。その意味ではやはり、「脱ちゅっちゅまんが」としての『Girls TALK』というおはなしは、以前の後記でも書いたとおり第一話の段階で事実上終わっていたのであって、手持ちの素材ではもうこれ以上付け足すことがほとんど無くなってしまった。そう思い至ったときに、あとのことはもはやディスコミュニケーションにおける単線的な論理の帰結としてではなく、何かべつの契機に依拠するものでなければならない。その時点で、感情の相互交流不可能性というモチーフはもはや今回の話の主たる要素ではなくなりました。

そして、登場人物は四人、舞台は限られた空間の限られた時期、状況はメインキャラクター二人の関係崩壊後、という少ない素材の中で、あとのことを描くのになんとか使えそうなものをと考えた末に、泉を主人公に据えた話が薄ぼんやりと見えてきたのでした。それは、これまでのおはなしの中で涼子も李花もディスコミュニケーションの果てに一人の世界に退却したあとに、唯一、両者と関係が持てて比較的自由に動けるキャラクターとして泉がいたからです。今回の話は、この泉を使って、ディスコミュニケーションの状況からいかにして積極的にコミュニケーションを回復ないし再構築していけるかという質的跳躍の問題として設定されました。「かんたんにわかり合えない」という条件のうえで、それでもなおべつの形でコミュニケーションの糸口をつかめるかというのが、今回の問題設定でした。

そしてけっきょく、今回、それを描くことには失敗してしまいました。

端的に言って、前述の問題設定は『Girls TALK』というおはなし内部の論理を超えたものです。当初から想定されていたものではなく、途中で立ち上がってきたものであって、それを描くのに十分な素材が事前に用意されていたわけではない。にもかかわらず、むりやりおはなしとして作ろうとして、失敗した。今回の話には明らかに「おはなしならざるもの」が侵入していて、それをおはなしの形に変形ないし昇華できないまま非常にグロテスクな形で残してしまい、おはなし内部の論理だけを貫徹させることもできないまま、おはなしを制御しきれなくなったために、こんなふうに破綻した物語になってしまったのが実情なのだと思います。だから、今回の話はもはやおはなしではないし、失敗の果てに生まれてしまった無残な結果でしかないわけです。

そういう意味では、もはや誰にも届かない表現になってしまっているのだと思うし、そんなマンガはほんとうは危ないから発表しないほうがいいのだろう[……]けれど、ただ、西野がいままで10年くらいずっと女の子同士の恋愛マンガを描き続けてきたことのひとつの限界として[……]こうして『Girls TALK』の第三話として作りました。

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