Girls TALK #2
Love and Rejection
2008年8月制作
解題
初出時の後記(抜粋)
[……]一年前に前作を描き終わった時点では、続きを描こうという気分はそんなにありませんでした。それがなぜ続きを描くことにしたかと言えば、一つには、前作を読んで下さった方の感想の中に「続きが気になる」という意見がいくつかあったことと、もう一つは、描いているほうとしても、前作はたしかに若干尻切れトンボ気味に終わらせすぎたかなという印象があって、それと関連して、前作のモチーフをもう少しだけ詳しく展開させたいという気分が、時間が経つにつれて少しずつ生まれてきたということにあります。
要は、前作では、感情の相互交流不可能性というモチーフでもって、危機に直面した恋愛関係の歪みと破綻の話を(えらく大味に)描いたわけですが、今回は、同様に感情の相互交流不可能性というモチーフでもって、破綻した関係がさらなる変容を遂げる過程を(多少はじっくり)描こうと思ったわけです。そういう意味では、今回の話は前作の再演みたいなものであって、前作と比べて動機や背景の点でさほど新しい気分があったわけではないですし、前作に引き続いて、ハッピーエンドとは言い難い、カタルシスのない話となったのも当然といえば当然と言えるかもしれません。
ただし、モチーフは同じといっても、方法的には前作とは多少異なるやり方を意識して描いた部分もあります。典型的な例が視点の問題で、前作では基本的には涼子視点を中心にして一人称的に話を描いていたのに対して、今回は涼子、李花、泉の三人それぞれにスポットを当てて、三人称的に話を描いています。というのは、感情の相互交流不可能性というモチーフを考えたときに、それをどう描くかという問題があって、けっきょくセンチメンタリズムに走ってただの感傷的なお話になりましたという、恋愛マンガを描こうとするときに強烈にはたらく傾向性(前作にはまだこの色が強い)を避けて、登場人物それぞれの考えと関係の動きにもとづいた話を描くためには、相互交流不可能性における心情よりも、相互交流不可能性という構造そのもののほうを強調するようにしたほうがよいだろう。それなら、一人称的な描き方でキャラクターの心情を一方的主観的に展開させるよりも、三人称的な視点でもって相互のコミュニケーションを描いて、その中でキャラクターそれぞれの論理と心理が客観的に明らかになるようにしたほうが、構造そのものを浮かび上がらせるのには向いているだろうと。そういう判断があったわけです。モノローグや心情描写をほとんどまったく使っていないのもそうした方法上の意図によるものであって、要は、今回は徹底して主観的心情よりも客観的構造のほうを強調して描くようにしている。
ですから今回の話はほとんど観察日記というか、一定の状況下で、異なる立場に置かれた複数人が、それぞれの感情や考えにもとづいて相互に接触・交流を繰り返した結果、どういった帰結をもたらすかという、一種のコミュニケーション実験の記録のようなつもりで描いたふしがあります。そういう意味では、主人公不在だとか、機械的に過ぎるとか、話に血が通っていないといった印象があるかもしれません。
そういうわけで、上述のようなモチーフと方法でもって今回の話を描いたわけですが、とはいえ、そもそも主な登場人物が三人だけの恋愛マンガですから、話の内容としてはべつだんそうたいそうな規模のものではありません。「感情の相互交流不可能性というモチーフでもって、破綻した関係がさらなる変容を遂げる過程」とは言いましたが、要は、今回の話は、不完全なコミュニケーションの果てに涼子と李花の関係が逆転する話なわけです。現実の重圧に直面して李花との関係すべてを否定しようとする涼子と、現実を受け入れながらもなお自らの想いを強くしてゆく李花とが、お互いの感情が十全には伝わらないままに恋慕と拒絶(Love and Rejection)を繰り返してゆく中で、その関係(権力関係)を逆転させてゆくという、端的に言えばそういう話です。そのほか付け加えるとすれば、今回は二人のあいだで泉というキャラクターが触媒の役割を果たして、それがちょうど感情の相互交流不可能性というモチーフを強化している(二人の関係(とくに涼子のほう)を心配した泉の行動はすべて裏目に出ている!)という点くらいで、細かなキャラクター設定やセリフ回しはべつにしても、今回の話の基本的な部分は上記の点に集約できるつもりです。もちろん、それがよりよい形で成功しているかどうかは読んで下さった方の判断を待つほかありませんが……。
